仕事と✗✗

こんばんは。

 

ビジネス書を読んでいて、聖書の記述がいかに的を射ているかびっくりしたことを書いていきたいと思います。聖書って今から2000年くらい前に書き終えられた書物ですよね。

 

それで、僕が読んでいたビジネス書は

ランチェスター思考 経営戦略の基礎 福田秀人著」

という経営に関する本なんですけど、すごく平凡な重要じゃないところに目が留まっちゃいました。でもそれほど、ある聖句と結びついてきたわけですよ。

 

そのしょうもない文とは、

計画主義と精神主義の両方に支配された企業ほど、愚劣で始末におえないものはない。

こういった企業では、真面目な社員の間に、ストレスで精神に異常をきたす者や、過労に倒れる者が増え、また、計画どおりに業績をあげるための様々な無理や不正が、一部の社員だけでなく、部門ぐるみで行われるようになる。

そういったことが不祥事となって発覚すると、利益至上主義と批判されるが、その多くは計画至上主義の産物でもある。

 

この部分と、次に紹介する聖句を見比べてみてください。

 

テモテ第一6:9,10

富もうと思い定めている人たちは、誘惑とわな、また多くの無分別で害になる欲望に陥り、それは人を滅びと破滅に投げ込みます。金銭に対する愛はあらゆる有害な事柄の根であるからです。ある人たちはこの愛を求めて信仰からまよい出、多くの苦痛で自分の全身を刺したのです。しかし、神の人よ、あなたはこうしたことから逃げ去りなさい。そして、義、敬虔な専心、信仰、愛、忍耐、温和な気質を追い求めなさい。

 

箴言28:20

 自分の土地を耕している人はパンに満ち足り,無価値なものを追い求めている人は貧困に飽き足りる。忠実な行ないの人は多くの祝福を得,富を得ようと急いでいる者は潔白を保てない

 

まずテモテ第一の方の聖句です。ビジネス書文書と見比べてみると、ストレスで精神に異常を、とか過労に倒れる、とかあります。聖句では、富もうと思い定めている人たちは多くの苦痛で自分の全身を刺すことになる、と断言しています。

まさにそうなんじゃないでしょうか?

 

そして、箴言の方を見比べてみると、無理や不正が社員や部門で行われることもある、ということが「富を得ようと急いでいる者は潔白を保てない」という聖句にぴったりです。そして、利益至上主義と批判される、とありますね。

 

聖書は金銭自体は悪ではないが、金銭に対する愛には注意しなさい、と忠告していますね。富を得ることが成功だとみなしている人は残念ですね。

こんなことも知らずに奮闘していたら、全身を苦痛でぶっ刺すことになりますよ。僕の以前の経験でもそうでした。起業するために奮闘していたら、愛していた婚約者を無くし、ストレスに苛まれ、結局事業は立ち上がりませんでした。何にも残るものはありませんでした。

 

なので、成功の定義を変えましたね。

義、敬虔な専心、信仰、愛、忍耐、温和な気質を追い求めるように変えました。聖書のアドバイス通りに行動しようとしています。そうすると、満足いく生活ができ、誰でも豊かな内面の成功を得られるわけですよ。これほどシンプルで満足できる成功はありません。そろそろ悟った方がいいですよ?

 

ということで、原則を中心に生きてると、様々な悟りがあります。ヨハネ8章にあるとおりです。

また、真理を知り、真理はあなた方を自由にするでしょう。

自由なんですよ。何が危険で何が益になるかを知れて、自由意志を用いて益する方を選び取ることができる。人間の推論で何が正しくて何が間違っているかが大体わかる。

 

以上、聖書中の事柄がいかに正確かという記事でした。

進化の過程

こんにちは。

 

本物の教養シリーズはずっと続いていきます。

 

本物の教養につながる道は長いですね。この記事では進化の過程について考えていきたいと思います。実は、丁寧に考えていくと、色んな矛盾点疑問点が生じてくるんですよ。一度はお考えになったことがあることと思います。ですが答えがわからないのでほおっておいた方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか。

 

 

f:id:Allfy:20170320201513p:plain

突然ですが、古代の海中生物が陸上に上がるときの進化ってどうやったんでしょうかね?

 

f:id:Allfy:20170320201526p:plain

 

その当時では、植物が地上で既に栄えていて、大気中に酸素が十二分に存在していたそうです。それで、海中の生物は陸上の環境が整ったようなので陸上に上がって水中の外敵から身を守り、繁栄していこうと……

 

はいはい。

 

やめてください。

 

論理吹っ飛んでるんですよ。もっと緻密に考えていきましょう。

 

だいたい、海中にいる生命が、水中の酸素でしか生活していなかったところを、どうして陸上に酸素があると”悟った”んでしょうか?

それが自然の成り行きだと仮定したとしても、えら呼吸しかできない水中生物がどのようにして肺呼吸に変えて空中の酸素を取り込めるようにしたんですかね?

そもそも肺呼吸の概念をどうやって分かったんでしょうかね?

 

それを自然淘汰だという人は考えることをやめた人ですね。逃げているんですよ。

 

 

 

f:id:Allfy:20170320201551p:plain

 

次いきましょう。

 

進化の過程で、”すべての種において”中間種が見つかっているわけではないことが、最大の疑問です。ダーウィンも、著書の中で進化の過程が見つからないことだけが疑問だ、と残しています。

 

画像のように、パッパッと存在するようになっているんですよ。

 

そういう風に順序を沿って創られたという方が説明がつくのではないでしょうかね?

例によって聖書を開いてみましょう。創世記1:24,25

次いで神は言われた、「地は生きた魂をその種類にしたがい、家畜と動く生き物と地の野獣をその種類にしたがって出すように。」するとそのようになった。そして神は、地の野獣をその種類にしたがい、地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆかれた。そして神はそれを良いとご覧になった。

何って書いてありましたか?その種類に従って創造されてきた、とありますよね。

恐竜は恐竜でも、羽毛の生えた恐竜も存在し、鳥の遠い祖先だともいわれていますが、

ある意味で同じ種なのかもしれませんね。種に従って創造されていった、というこの聖句は的を射たものなのではないでしょうか?

 

いかがでしたか?楽しかったですか?

ここまでお読みいただきどうもありがとうございました。

 

ではまた。

 

 

植物からわかる知恵

こんにちは。

 

の記事では生命の起源について考えることが本物の教養につながると論じました。植物の中に見られる知恵について考えていきたいと思います。

 

まず進化の矛盾点を論じ、そして生命の起源について考えてみます。

 

物は、基本的にフィボナッチ数列に従って枝分かれをしたり、黄金比に従う黄金角に従って枝の角度が決まります。それには植物の生長の最適化という力学・生物学・物理学・数学が垣間見られます。

 

えば、ひまわりの頭上花は完璧なフィボナッチ数列によって、時計回りと反時計回りのらせん構造を描いています。

f:id:Allfy:20170320154150p:plain

 

また、アルソミトラと呼ばれる植物の種子は、1km先まで滑空する構造にデザインされており、これは完璧な流体力学に従っているそうです。

 《1km以上も滑空する種子》

NIPPN(日本製粉)のCM(http://www.nippn.co.jp/hiroba/cm/Alsomitra.html

 

)でもおなじみの滑空する種(イラスト)。

これは,インドネシアなどに分布するウリ科のツル植物である「アルソミトラ」の種子です。上昇気流に乗れば,その飛距離は何と1kmをこえるといいます。

この種子の“設計”の精巧さは,驚くばかりです。 例えば,翼の表面にある凹凸は,小さな空気の渦をつくって空気抵抗を減らす役割をもっているそうです。V字型の形状,翼の両端や後縁のそり上がり,適切な重心位置なども,すぐれた滑空性能を実現するのに役立っています。

 *1

 

植物には様々な学問が応用されていることがわかりましたね。

て、一般に進化論が当然ここに脚注を書きますのこととして教えられていますが、疑問が生じます。

 

進化とはただの「プロセス」に過ぎないのにも関わらず、どうして数学や物理学、生物学が”分かる”のでしょうね?

進化というプロセスに”脳”はありません。よく「自然の力だ」などと進化論信者が表現しますが、その「自然」には脳はありますかね?

 

また別の角度から見てみると、どうして脳がない植物は、「より遠くに種子を届けよう」と考えることができるんですかね?脳がないのに考えるというのは論理が破たんしているのでありえないですよね。

 

こで、思考実験してみましょうか。

生命の起源って生命を構成する分子が海の中にたくさんできていて、雷などさまざまな刺激によってタンパク質が合成されてゆき、あるとき生命が独りでに存在するようになった、というのが学校で習うことでした。

 f:id:Allfy:20170320200710p:plain

広辞苑は「あ」から「ん」まで五十音順に並べて、それぞれの語句について正確な意味が書かれていますよね。「あ」という項目にはさらに詳細に分割され、「あ」の次は「ああ(嗚呼)」だったり「あい(愛)」だったりしてさらに五十音順に並んでいくわけですよ。そして使い方の例が書いてあったり、リンク先は○ページとか書いてあったり、英語ではこう言う、とか書いてあったりします。

 

 

こういう複雑な作りをしている広辞苑は、言葉が勝手に並んでいき、独りでにできたものでしょうか?

 

そんなこと質問すんなwww  っていう意見が普通だと思います。

 

独りでにできたのではなく、人間という高度な知性体によって作成されました。

話の流れがわかってきましたね?

初めの生命は、もっと複雑ですよ。細胞を完璧にコピーし複製するような技術とか、DNAの転写技術とか生命維持に欠かせない能力が、独りでにできたと結論付けるのはバカがすることです

だって広辞苑が自分自身を複製することなんてできませんよね。初期の生命はなおさらのことじゃないですか?

 

はい、ということで、生命は人以上の高高度知性体によって作られたのではなかろうか、というのが結論です。だから、神が創ったってことですね。

 

読者のあなたも理性的に結論づけることができるといいですね^^

 

じゃあ神が私たちを創ったのはどんな目的があったんでしょうかね。

それを知っていくことが本物の教養であると僕は何度も言っているわけです。

 

最後まで読んでくださってどうもありがとうございました!

 

ではでは。

 

 

*1:科学雑誌Newton、フェイスブックアカウントより引用

進化論の誤謬

前提知識

進化論:より強い子孫を残せるよう、自然淘汰により適合種のみが生き延びてきた

創造論:全てのものは神が創った

 

主張1 人がもつ欲求とのギャップ

まず前提として、進化論が正しいと仮定する。すると、現在の人類の位置づけは次の主張で表されることになる。

「人間は太古の昔から生物が進化してきた生命である。そして人間はまだ進化の過程で、

今後さらに自然淘汰されてより強い人間種族が生まれるであろう。」

そして、言語や肌の色、年齢、性別、宗教に関わりなく、全人類一人余さず、人生の目的は

「他の人より強そうな異性を見つけて交配し、自分よりも強い子孫を残す」

ことが最大の目的となる。

しかしこれは事実に反する。自分より優れた息子が育ったからもう死んでもいい、と言って死ぬ人は誰もいない。

つまり進化論が正しいと前提したことが間違っている。(背理法

一方で、人間の欲求は、次の表で示される。

f:id:Allfy:20170320145325p:plain

下の階層が満たされれば、より高次な欲求(肉的→感情的→精神的)となっているのがわかる。これは事実と調和する。そして、欲求が高いレベルになっていくと、見えないものに集中するようになっていく。人生の目的、生きる意味、死ぬ意味、人間とは何か、人格について、神について、などである。この傾向は何に近づいているのだろうか?見えないもの・内的なものの価値を認識することで、見えない存在、つまり神に近づくような精神態度になるのではないだろうか。

 

 

主張2 聖書は進化論の教えを説明している。

 

進化論がほとんどの国で教えられているのは、それだけ合理的で真実性があるからである。

一方で、<主張1>で見たように、現実と矛盾する事実が存在する。

進化論でかなり真実性が認められている具体例をあげよう。例えば、マンボウは、一度の産卵で数億個の卵を海中に散布する。その中で生き延びて成魚になれる子孫はわずか数匹である。この事実は、確かに子孫を残そうととして産卵量で勝負しているように見える。そして、このような仕方で生き延びられるよう進化してきた、と説明されている。

だが、どのようにしてマンボウが子孫を残すために産卵量を増やすことが最適であることがわかったのか(産卵量の検証段階で失敗しているとマンボウはすでにいない。)なぜ、すべてのマンボウが産卵量を増やすという仕方で子孫を増やしているのか(別にほかの方法で進化してもいいのではないだろうか。)などと、様々な矛盾が生じ、進化論では説明がつかないでいる。つまり進化論は不完全な論法であるということがいえる。進化論が真実ならば、論の不備はないはずだ。

さて、ではこの真実を聖書はどう述べているだろうか。

創世記1:28 さらに、神は彼らを祝福し、神は彼らに言われた、「子を生んで多くなり、地に満ちて、それを従わせよ。そして、海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。

これは最初に創造された人に出された命令だが、この背後に潜む原則から言うと、生きとし生けるものは地に満ちていくように創造されている。それが神の目的である、と言っていいかもしれない。

つまり、先の例のマンボウが、数億個もの卵を産み、子孫を増やそうとしているのは、知性によって、神によって設計され、神のご意志を全うしているということになる。

 

以上、主張1,主張2により、創造論が真実であるということが導かれる。

本当の教養ってさ。

こんばんは。

 

いきなりだけど、

本当の教養ってさ、ねえ?

何だと思います?

なんだか、色んな人が色んな仕方で「本物の教養とは」って説いてるけどさ。

各人の「本物」ってバラバラなんよね。

 

真実はひとつのはずなのに、真実がいっぱいあるわけさ。

真実という名の偏見、

真実という名の戯言だよね。

 

哲学者という名の「扇動者」は真理という名を借りて独自の見解を展開して自分に注意を向けようとしてるし。

 

うーむ。

 

ならん。

 

それで、僕自身の本物だと考える教養があるんですよ。

僕は僕でこれが本物?だと思っている。

 

僕の主張も色んな人のいう「本物」に埋もれていくかもしれません。

それを決めていただくのは読者のあなたです。

 

ところで、人ってどこから来たんでしょうね?

起源ってどこ?

そして今人類の歩みってどの段階にあるんでしょうね?

グーグルマップの上から見た図の視点で見てみたいものです。

それから、僕たちはこれからどこに向かっていくんでしょうね?

 

そういう、人類の歩みの最もエッセンシャルなところを

根掘り葉彫り考えていくことが本物の教養に繋がっていくと思うんですよ。

 

それで、生命の起源を考えること

進化論が正しいか、創造論が正しいかわきまえ知ること

神が存在するか知ること

 

こういうシンプルな問いに対する答えを持っていくことが

本物の教養を持っていくことになると思うんです。

 

でも、教養を持っているとどういう風にわかるんでしょうね?

 

ブログタイトルで「原則中心で生きてるよ。」

って言っていますけど、この世に存在する不変普遍原則に沿って

行動するときに教養を持っていると示せます。

 

だって、知識を実際に使っていなければそれは知識がないものと

みなされちゃいますから。

 

例で考えるとわかるかもしれません。

 

彼女が好きで好きでたまらないのに、

「好きだ」

と告白しない限り彼女を好きであるということは伝わらないですものね。

 

つまり、そういう頭の中の観念、思い、知識は使わないとわからないわけですよ。

 

どんどん話がそれていますが(笑)

 

東大の国語試験で載っていた話ですが、人は本質的に他者の評価によって形作られていくことが論じられていました。

自己評価をいくらしようとも、自分はどんな人間かが決まらない。人は他者がいるからこそはじめて個性や人格がそれぞれ異なることがわかります。

自分の歩みの道を他者がどう評価するかによって、その人の人格特性がわかってくる。

 

これは事実ですね。

 

ということで、本物の教養を持っているということの、さらに突っ込んだ意味としては、行動によって表されなければならない、ということでした。

 

次からは、生命の起源についてゆっくり考察していきましょうか。

 

読んでくださった方には格別の愛と感謝をお送りします。

 

ではでは^^/

 

 

 

引き寄せの法則”教” (笑)

こんばんは。

2008年以後、世界中で引き寄せの法則が話題になり、流行ってますよね。

元祖”ザ・シークレット”は引き寄せの法則の元祖ともいえますよね。

 

f:id:Allfy:20170319235315p:plain

引き寄せの法則って20世紀前半から「ニュー・ソート運動」(New thought,新しい思想)と言われる、聖書を新しく捉えなおそうっていう運動からくる考えなんですよ。

 

だから聖書に答えがあるはずというのは道理にかなっていますよね?

 

聖書に入る前に、僕が読んできた引き寄せの法則系の本をご紹介します。

今までどんなことを探してきたかというと、引き寄せの法則で紹介されていたルーツ、紹介されていた本の大部分を読んできました。

 

例えば、

  • ザ・マスターキー チャールズ・ハーネル著
  • 富を引き寄せる科学的法則 ウォレス・D・ワトルズ著
  • あなたの潜在能力を引き出す20の原則と54の名言 ジャック・キャンフィールド著
  • 引き寄せの奥義キバリオン アトキンソンウィリアムW著
  • ザメタシークレット ロンダバーン著
  • ザ・マジック ロンダバーン著

などなど。

 

結局引き寄せの法則が言っていることは、「宇宙はとても優しくて、願えばちゃんと聞いてくれて、確信していれば必ず願いをかなえてくれる」

ということですよね。

 

ここに、日本人の著者の意訳が入ってて、「神は」と訳すはずのところを「宇宙は」

などと訳しています。そうでないと引き寄せの法則が宗教じみた本となって、日本で売れないと思ったからでしょう。

 

引き寄せの法則は聖書から出ている、といいました。先ほどの要約を言い換えれば、

「神はとても優しくて、願えばちゃんと聞いてくれて、確信していれば必ず願いをかなえてくれる」

となりますね。

 

さて、聖書中に引き寄せの法則的なことがどう書かれてあるか見ていきましょうか。

気になりますよね?

 

マルコ11:24

このゆえにあなた方に言いますが、あなた方が祈りまた求めることすべては、それをすでに受けたのだという信仰を持ちなさい。そうすれば、あなた方はそれを持つことになります。 

 はい。。。

これって引き寄せの法則の本質的なところですよね。

願ったあとに、すでにそれを受け取ったように感じるべきで、感謝を先に述べておこうっていう教えです。この教えは聖書のマルコ11:24から来ているとわかります。

 

じゃあ、聖書中にある「信仰」ってなんなんでしょうね?定義を見てみましょう。

へブライ11:1です。

信仰とは、望んでいる事柄に対する保証された期待であり、見えない実態についての明白な論証です。 

 ちょっと難しいかもしれませんね。自分が祈った事柄に対する、「保証された」期待だと述べています。

保証の意味

 

  1. 間違いがない、大丈夫であると認め、責任をもつこと。「品質を―する」「彼の人柄については―する」

 (goo辞書より引用)

引き寄せの法則に通じている人はわかってきましたか?

本質、見えてきましたよね。

 

証拠が一つだけでは心もとないというあなたに、ヤコブ1:5~8を紹介しておきましょう。

それで、あなた方の中に知恵に欠けた人がいるなら、その人は神に求めつづけなさい。神はすべての人に寛大に、またとがめることなく与えてくださるのです。そのようにすれば、それは与えられます。しかし、信仰のうちに求めつづけるべきであり、疑うようなことがあってはなりません。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く海の波のようだからです。実際、その人は自分がエホバから何かをいただけるなどと思ってはなりません。その人は優柔不断であり、そのすべての道において不安定です。 

※ 補足説明をいれておきましょうか。エホバとは、神のお名前です。イスラム教世界ではヤハ、ヤハウェとも表現されています。

 

長いのによく読んでくださいました。ありがとうございます。

引き寄せの法則では、疑ってはだめだ、という教えがありますが、それはヤコブ1章の聖句からきているんですね。

そして、ことの結論はこうです。

「祈りを叶えてくださるのは実際のところ神である」

ということです。祈り、それが神のご意志にかなっているのであれば、神は行動してくださる、というのが聖書的な理解となります。

 

 

初めて聞いた人はびっくりしちゃったかもしれませんね。でも、引き寄せの法則の出どころを調べてみてください。きっとニューソート運動、って出てくると思いますよ。

 

読んでくださってどうもありがとうございました~^^

ではでは^^/

 

 

f:id:Allfy:20170320001237p:plain

街路募金とかファンドレイザーとか。

こんばんは。

7つの習慣の原則はすべて、聖書中にもっと詳しく書いてある、とのことで記事を書いてきました。

僕は以前まで募金活動やファンドレイザーと言われるNPOの資金、寄付を集める専門家としての技術を身に着けるための試験を受けるなど、善いこととして一般に捉えられることに熱心でした。

というのも、全世界で7人に1人は「絶対的貧困」と呼ばれる、一日1ドル未満で生活している人たちがいることを知っているからです。

明日食いっぱぐれるかどうか、衣食住という人間の基本的欲求さえ満たせない人たちです。そんな人たちの助けとなりたいと思って募金をしてきました。

 

そこで、街路募金活動やファンドレイザーとしての活動は、聖書の原則から見て如何ほどなものか、考えていきます。最近知ったことで、意外に思えたことだったので記事にしたいと思いました。

 

イエスの山上の垂訓の部分です。マタイ6:2にはこうあります。

ゆえに,憐れみの施しをするときには,偽善者たちが人から栄光を受けようとして会堂や街路でするように,自分の前にラッパを吹いてはなりません。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けているのです。

憐れみの施しとは、募金活動のことともいえるかもしれませんね。街路でやっていたそうです。人は多いですし、憐れみの施しはしてもらえやすかったでしょう。しかし、それらのことをする人々の内面の動機について、「栄光を受けようとして」とイエスは言及しています。つまり、自分は善行をしている、すごいだろう!と自分に注意を向けさせ、自尊心を過度に満たそうとしている人たちのことを、「偽善者」と言っています。

 

だって、善行をすることが目的のはずなのに、それがひとつの自尊心を満たす手段とすり替わっているからです。

 

これら背後にある原則を考えたときに、僕が募金活動をしようとした動機のなかに「自分はみんなと違って倫理的な人間だ」という評価を得たいというものがありました。

極論、僕は偽善者だったわけですよ(笑)

 

この原則をもとに考えると、出しゃばって人の見えるところで募金はしないようにするのが賢明ですね。

だれも見えないところで、こっそりと善行をするんです。

これってかっこよくないですか?

慎ましくて謙遜な精神を持っていて、人に見せびらかそうとしない。

 

そんな生き方を続けていきたいものです…。。

 

読んでくださってどうもありがとうございました~^^

 

世界でひとつだけのオリジナルギフトを贈りませんか?
オーダーメイドで簡単に創れます