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街路募金とかファンドレイザーとか。

こんばんは。

7つの習慣の原則はすべて、聖書中にもっと詳しく書いてある、とのことで記事を書いてきました。

僕は以前まで募金活動やファンドレイザーと言われるNPOの資金、寄付を集める専門家としての技術を身に着けるための試験を受けるなど、善いこととして一般に捉えられることに熱心でした。

というのも、全世界で7人に1人は「絶対的貧困」と呼ばれる、一日1ドル未満で生活している人たちがいることを知っているからです。

明日食いっぱぐれるかどうか、衣食住という人間の基本的欲求さえ満たせない人たちです。そんな人たちの助けとなりたいと思って募金をしてきました。

 

そこで、街路募金活動やファンドレイザーとしての活動は、聖書の原則から見て如何ほどなものか、考えていきます。最近知ったことで、意外に思えたことだったので記事にしたいと思いました。

 

イエスの山上の垂訓の部分です。マタイ6:2にはこうあります。

ゆえに,憐れみの施しをするときには,偽善者たちが人から栄光を受けようとして会堂や街路でするように,自分の前にラッパを吹いてはなりません。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けているのです。

憐れみの施しとは、募金活動のことともいえるかもしれませんね。街路でやっていたそうです。人は多いですし、憐れみの施しはしてもらえやすかったでしょう。しかし、それらのことをする人々の内面の動機について、「栄光を受けようとして」とイエスは言及しています。つまり、自分は善行をしている、すごいだろう!と自分に注意を向けさせ、自尊心を過度に満たそうとしている人たちのことを、「偽善者」と言っています。

 

だって、善行をすることが目的のはずなのに、それがひとつの自尊心を満たす手段とすり替わっているからです。

 

これら背後にある原則を考えたときに、僕が募金活動をしようとした動機のなかに「自分はみんなと違って倫理的な人間だ」という評価を得たいというものがありました。

極論、僕は偽善者だったわけですよ(笑)

 

この原則をもとに考えると、出しゃばって人の見えるところで募金はしないようにするのが賢明ですね。

だれも見えないところで、こっそりと善行をするんです。

これってかっこよくないですか?

慎ましくて謙遜な精神を持っていて、人に見せびらかそうとしない。

 

そんな生き方を続けていきたいものです…。。

 

読んでくださってどうもありがとうございました~^^

 

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