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本当の教養ってさ。

こんばんは。

 

いきなりだけど、

本当の教養ってさ、ねえ?

何だと思います?

なんだか、色んな人が色んな仕方で「本物の教養とは」って説いてるけどさ。

各人の「本物」ってバラバラなんよね。

 

真実はひとつのはずなのに、真実がいっぱいあるわけさ。

真実という名の偏見、

真実という名の戯言だよね。

 

哲学者という名の「扇動者」は真理という名を借りて独自の見解を展開して自分に注意を向けようとしてるし。

 

うーむ。

 

ならん。

 

それで、僕自身の本物だと考える教養があるんですよ。

僕は僕でこれが本物?だと思っている。

 

僕の主張も色んな人のいう「本物」に埋もれていくかもしれません。

それを決めていただくのは読者のあなたです。

 

ところで、人ってどこから来たんでしょうね?

起源ってどこ?

そして今人類の歩みってどの段階にあるんでしょうね?

グーグルマップの上から見た図の視点で見てみたいものです。

それから、僕たちはこれからどこに向かっていくんでしょうね?

 

そういう、人類の歩みの最もエッセンシャルなところを

根掘り葉彫り考えていくことが本物の教養に繋がっていくと思うんですよ。

 

それで、生命の起源を考えること

進化論が正しいか、創造論が正しいかわきまえ知ること

神が存在するか知ること

 

こういうシンプルな問いに対する答えを持っていくことが

本物の教養を持っていくことになると思うんです。

 

でも、教養を持っているとどういう風にわかるんでしょうね?

 

ブログタイトルで「原則中心で生きてるよ。」

って言っていますけど、この世に存在する不変普遍原則に沿って

行動するときに教養を持っていると示せます。

 

だって、知識を実際に使っていなければそれは知識がないものと

みなされちゃいますから。

 

例で考えるとわかるかもしれません。

 

彼女が好きで好きでたまらないのに、

「好きだ」

と告白しない限り彼女を好きであるということは伝わらないですものね。

 

つまり、そういう頭の中の観念、思い、知識は使わないとわからないわけですよ。

 

どんどん話がそれていますが(笑)

 

東大の国語試験で載っていた話ですが、人は本質的に他者の評価によって形作られていくことが論じられていました。

自己評価をいくらしようとも、自分はどんな人間かが決まらない。人は他者がいるからこそはじめて個性や人格がそれぞれ異なることがわかります。

自分の歩みの道を他者がどう評価するかによって、その人の人格特性がわかってくる。

 

これは事実ですね。

 

ということで、本物の教養を持っているということの、さらに突っ込んだ意味としては、行動によって表されなければならない、ということでした。

 

次からは、生命の起源についてゆっくり考察していきましょうか。

 

読んでくださった方には格別の愛と感謝をお送りします。

 

ではでは^^/