進化論の誤謬

前提知識

進化論:より強い子孫を残せるよう、自然淘汰により適合種のみが生き延びてきた

創造論:全てのものは神が創った

 

主張1 人がもつ欲求とのギャップ

まず前提として、進化論が正しいと仮定する。すると、現在の人類の位置づけは次の主張で表されることになる。

「人間は太古の昔から生物が進化してきた生命である。そして人間はまだ進化の過程で、

今後さらに自然淘汰されてより強い人間種族が生まれるであろう。」

そして、言語や肌の色、年齢、性別、宗教に関わりなく、全人類一人余さず、人生の目的は

「他の人より強そうな異性を見つけて交配し、自分よりも強い子孫を残す」

ことが最大の目的となる。

しかしこれは事実に反する。自分より優れた息子が育ったからもう死んでもいい、と言って死ぬ人は誰もいない。

つまり進化論が正しいと前提したことが間違っている。(背理法

一方で、人間の欲求は、次の表で示される。

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下の階層が満たされれば、より高次な欲求(肉的→感情的→精神的)となっているのがわかる。これは事実と調和する。そして、欲求が高いレベルになっていくと、見えないものに集中するようになっていく。人生の目的、生きる意味、死ぬ意味、人間とは何か、人格について、神について、などである。この傾向は何に近づいているのだろうか?見えないもの・内的なものの価値を認識することで、見えない存在、つまり神に近づくような精神態度になるのではないだろうか。

 

 

主張2 聖書は進化論の教えを説明している。

 

進化論がほとんどの国で教えられているのは、それだけ合理的で真実性があるからである。

一方で、<主張1>で見たように、現実と矛盾する事実が存在する。

進化論でかなり真実性が認められている具体例をあげよう。例えば、マンボウは、一度の産卵で数億個の卵を海中に散布する。その中で生き延びて成魚になれる子孫はわずか数匹である。この事実は、確かに子孫を残そうととして産卵量で勝負しているように見える。そして、このような仕方で生き延びられるよう進化してきた、と説明されている。

だが、どのようにしてマンボウが子孫を残すために産卵量を増やすことが最適であることがわかったのか(産卵量の検証段階で失敗しているとマンボウはすでにいない。)なぜ、すべてのマンボウが産卵量を増やすという仕方で子孫を増やしているのか(別にほかの方法で進化してもいいのではないだろうか。)などと、様々な矛盾が生じ、進化論では説明がつかないでいる。つまり進化論は不完全な論法であるということがいえる。進化論が真実ならば、論の不備はないはずだ。

さて、ではこの真実を聖書はどう述べているだろうか。

創世記1:28 さらに、神は彼らを祝福し、神は彼らに言われた、「子を生んで多くなり、地に満ちて、それを従わせよ。そして、海の魚と天の飛ぶ生き物と地の上を動くあらゆる生き物を服従させよ」。

これは最初に創造された人に出された命令だが、この背後に潜む原則から言うと、生きとし生けるものは地に満ちていくように創造されている。それが神の目的である、と言っていいかもしれない。

つまり、先の例のマンボウが、数億個もの卵を産み、子孫を増やそうとしているのは、知性によって、神によって設計され、神のご意志を全うしているということになる。

 

以上、主張1,主張2により、創造論が真実であるということが導かれる。